「生きる力」の育成は、新たな格差を生み出すか

ote2006-03-04



 刈谷剛彦「学歴社会から学習資本主義社会へ」中央公論3月号を読みました。「生きる力」を身に付ける教育から新たな格差が生まれると論じています。以下は、その内容をわたしなりに簡略化してまとめたものです。

 世は、学ぶ側の主体的な学びである「生きる力」を子どもに身に付ける教育を推進している。この教育から日本がたどりつつあるのは、学歴社会から学習資本主義社会への変化である。つまり、習得した知識・技術よりも、学習能力が人的資本形成の中核になる。学習能力が「資本」となる社会の登場であり、「自ら学ぶ力」=「学習資本」と呼べるものの形成・蓄積・転換が、社会のあり方と人間形成に広く、深く、かかわる。


 このような生涯学習社会では、極端に言えば、「学びたいから学ぶのではない。学ばなければ生き残れないから学ぶ」という社会になる。


 イギリスでは、雇用・福祉政策にかかわって、雇用能力向上のための教育改革が行われた。「教育の市場化」である。そこでは、学校選択制が導入されているが、学校を選択する親の意識や関心、情報収集力などの差が教育の格差を拡大しているという指摘がある。


 子どもの初期の段階での学習能力の差は家庭環境などの影響を受けていること。選択主体(親)・自己責任を考えると、人的資本主義の新段階が新たな格差を生み出す構図が現れる。


 受験勉強のように学力が一元的に示され、それに到達する手段がわかりやすかった時代に比べて、「生きる力」や学習能力を高める学習は、目標も評価基準も曖昧で多元的になり、そこに到達する方法もわかりにくい。こういう学習ほど家庭の文化的環境の影響を受けやすい。


 このような社会を「新たな階級社会」の誕生と呼ぶのか、それとも「能力支配社会」の実現とみるのか、はたまた「生涯学習社会」の成立として歓迎するのか。


 日本でも「教育の市場化」が進んできています。その市場化は、すべての住民に対して公平性の確保のもと行わなければなりません。各自治体は、子どもが集まる学校を優遇するのではなく、子どもが集まりにくい学校の改善を中心に、学校間に格差ができなように取り組んでいく必要があります。

 
 「生きる力」の育成そのものは、誤った教育ではありません。わたしたちは、その教育の先にあるものを見通しながら、教育のあり方を考えることが大切だと思います。子どもたちの未来のためにも、格差社会ができないように、わたしたち大人が、考え、行動しなければなりません。


なるほど! と思ったら、ワンクリックを → 教育ブログRanking