「指名なし討論」の授業はすばらしい
発問一つで始まる「指名なし討論」 (教え方のプロ・向山洋一全集 47)
- 作者: 向山洋一
- 出版社/メーカー: 明治図書出版
- 発売日: 2003/03
- メディア: 単行本
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”発問一つで始まる「指名なし討論」”を読みました。さすが向山さん、個性的ですね(^_^)。
向山さんは、教師が授業を上手に展開するためには、発問の中からマイナスを取り除かなければならないと言います。それが、ムダ・ムリ・ムラです。
- ムダな発問とは、すでに知っていることを延々と聞くこと。
- ムリな発問とは、意味が不明な発問。①短く言い切れない発問、②言うたびに言葉が微妙に変化する発問、③語尾が不明確な発問、④主語がない発問。
- ムラのある発問とは、いちいち子どもの答えに反応して、中心からずれてしまった発問。
「指名なし討論」の授業では、意見を言う児童が自ら立って発言します。児童が次の発言者を指名したりせずに、児童だけで討論が進められるのです。同時に数名が発言しようとして立つことがありますが、初めて意見を言う児童や反論する児童が優先されます。この授業では、教師の発言は短ければ短いほど良いとされます。この討論が成立するには、①全員が同一の問題を考えられる、②問題への答えをほとんどの児童がもっている、③答えがいくつかに分裂していることが条件となります。
「指名なし討論」の授業を行うまでには、いくつかのステップが必要です。まず、「指名なし朗読」ができるようになる。次に、事象現象に対する「指名なし発表」ができるようになる。そして、「指名なし討論」にたどり着きます。指名なしだと、適度な緊張感があり、テンポよく児童たちの手で授業が進むことが見て取れます。
わたしは、「指名なし討論」まではいきませんが、児童が司会をし、1時間にわたってほとんど児童だけが発表をする授業を見たことがあります。この手の授業は、教師が児童に、どれだけ学習の手続きを体得させているかで成否が決まります。
成功していた授業では、ゲストティチャーに対して、自らの意見を、他の児童の発言を参考にしながら構築して質問するなど、児童の手でテンポ良く授業が進んでいました。一方、うまくいかなかった授業では、児童の発表が目標からはずれていっても、教師は修正行わず、児童が目標を見失ったまま児童の手で授業が進行していました。
大変興味深くこの本を読ませてもらいましたが、授業への取組を、黒帯の芸、高段の芸と表現するのは、わたしの感覚にはなじみませんでした。しかし、「指名なし討論」の授業実践とそれにいたるアプローチ、たいへんすばらしい取組だと思います。
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