寺田寅彦 『天災と国防』 を読みました。



 寺田寅彦(1878〜1935)を知ったのはいつの頃でしょうか。寅彦に関する本は9冊ほどもっていますが、そのうちの一冊、岩波文庫寺田寅彦随筆集第一巻』 の背表紙の裏にスタンプで押された購入日付は 、60.1.5 となっています。24歳の時の購入です。 物理学者で、身近な科学現象を考察し論理的に分かりやすく語ってくれる随筆家であった点に、当時から短編ものが好きだったこともあり興味を覚えたのでしょう。


天災と国防 (講談社学術文庫)

天災と国防 (講談社学術文庫)


 8月7日付けの朝日新聞に、寺田寅彦 『天災と国防』 が紹介されていました。この本は寅彦の災害関連の短編*1を集め、今年の9月1日の「防災の日」をめざして出版の準備をしていたものでした。3月11日の震災・津波を受けて6月に刊行されました。記事にあった寅彦の「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増す」という一文が、今回の震災・津波にあまりにも当を得ていてびっくりしました。そこで、先月出張先の名古屋で購入しました。寅彦が述べている内容は、まさに今の時代にも通用する普遍的なものです。

「文化が進むに従って個人が社会を作り、職業の分化が起こって来ると事情は未開時代と全然変わって来る。天災による個人の損害はもはやその個人だけの迷惑では済まなくなって来る。村の貯水池や共同水車小屋が破壊されれば多数の村民は同時にその損害の余響を受けるであろう。
 二十世紀の現代では日本全体が一つの高等な有機体である。各種の動力を運ぶ電線やパイプやが縦横に交差し、いろいろな交通網がすきまもなく張り渡されているありさまは高等動物の神経や血管と同様である。その神経や血管の一か所に故障が起こればその影響はたちまち全体に波及するであろう。」


 寅彦が生きた百年前ですらこうです。福島第一原子力発電所の事故は、まさにこのことでしょう。また、この本の中の短編 『津波と人間』 では、同じような津波が過去に繰り返され、その災害に対して予防案が考えられることについて述べています。

 「災害直後時を移さず政府各方面の官吏、各新聞記者、各方面の学者が駆付けて詳細な調査をする。そうして周到な津浪災害予防案が考究され、発表され、その実行が奨励されるであろう。
 さて、それから更に三十七年経ったとする。その時には、今度の津浪を調べた役人、学者、新聞記者は大抵もう故人となっているか、さもなくとも世間からは隠退している。そうして、今回の津浪の時に働き盛り分別盛りであった当該地方の人々も同様である。そうして災害当時まだ物心のつくか付かぬであった人達が、その今から三十七年後の地方の中堅人士となっているのである。三十七年と云えば大して長くも聞こえないが、日数にすれば一万三千五百五日である。その間に朝日夕日は一万三千五百五回ずつ平和な浜辺の平均水準線に近い波打際を照らすのである。津浪に懲りて、はじめは高い処だけに住居を移していても、五年たち、十年たち、十五年二十年とたつ間には、やはりいつともなく低い処を求めて人口は移って行くであろう。そうして運命の一万数千日の終りの日が忍びやかに近づくのである。鉄砲の音に驚いて立った海猫が、いつの間にかまた寄って来るのと本質的の区別はないのである。」


 今回の震災後、居住地を高台へ移転し、就業の場と分離し安全確保に努めるという方針がだされていますが、それに対して、「高台が少ない」「住宅地の整備に時間・費用が掛かる」「就労機会が確保されない」「元の土地に戻ることを望む住民が多い」などさまざまな理由から異論が出ています。大変難しい問題です。もう一つ、災害を防ぐ手立てとしては、次のように述べています。

 「こういう災害を防ぐには、人間の寿命を十倍か百倍に延ばすか、ただしは地震津浪の週期を十分の一か百分の一に縮めるかすればよい。そうすれば災害はもはや災害でなく五風十雨の亜類となってしまうであろう。しかしそれが出来ない相談であるとすれば、残る唯一の方法は人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はないであろう。」


 この本にある寅彦のメッセージを後世に伝えることも、私たちができる災害を防ぐ手立てかもしれません。「天災は忘れた頃にやってくる」、彼の著作にはこの言葉はないのですが、寅彦が言った言葉だそうです。


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*1:この本の中に収められている短編は、1.天災と国防 2.火事教育 3.地震雑感 4.静岡地震被害見学記 5.小爆発二件 6.震災日記より 7.函館の大火について 8.流言蜚語 9.神話と地球物理学 10.津波と人間 11.厄年とetc. です。