昨日から


 昨日は避難訓練でした。なんかつじつま合わせに行っているようですね。来年度は5月に実施します。わたしは担当者なので、スムーズに実施するために、一昨日、以前職員会議で配布した避難訓練の要項を再度配り、「明日は晴れなので予定通り実施です。避難経路のイメージをよろしくおねがいします」と職朝で連絡をしました。


 するとどうです、昨日、わたしが学校に着くやいなや雪が舞ってくるではありませんか。そんなことで急きょ講堂へ避難するための集合図を作成しました。講堂は月曜日に行われる高校入試のためにイスが並べてあるので、どのクラスがどのイスの間に入場するということ指示しなけらばいけなかったからです。1年生による降下訓練は中止を決定しました。小雪ならば運動場で予定通り、雪が強ければ講堂へ入る場合もあると職朝で連絡しました。結局、雪のちらつきおさまり、9時には職員室から出火ということで運動場へ生徒を避難させました。


 避難時間は過去最短の6分11秒。しんがりは私のクラスでした。私のクラスは3階にある上に、校地を半周かけて集合地点へやってくるのです。わたしは避難訓練の全体指揮ということで、副担の先生に率いてもらいました。その後、わたしから「おかし」を覚えておきなさいということで、「お」押さない、「か」(狭いところでは)かけない 、「し」しゃべらないという話をしました。教頭からは、災害にあったときこのことを考えて、家族との安否の取り方などを決めておきなさいといような話がありました。


  午後3時に入試準備で職員室へ集まったときに、上の階にいた先生が「揺れましたね」
と言っていました。職員室にいた者は気がつきませんでした。これが今現在でも進行している悪夢の始まりでした。帰りの車の中で、事態が急速に悪化していることを認識しました。


 今日は朝から部活動でした。自分でも気分が落ち込んでいるのが分かります。生徒も友だちと津波のことを話していました。練習はじめの集合では生徒を座らせ、少し話をしました。「ここにある現実をしっかり見ておきなさい。私自身は阪神淡路大震災で、自然災害の恐ろしさを知った。死者の0の数が1時間ごとに1つずつ増えていった。災害にあったときは1つの判断が生死を分ける。でも無理はしない。また、皆を見守っている人がいるわけだから、何があっても頑張ることが大切だ。そして、このような事態に万が一遭遇したら、自ら率先してできることを探してやりなさい。せっかく陸上競技で鍛えた体あるのだから。そして、この現実をしっかり見て、今後それぞれが働くところで将来生かしなさい」


 今回の避難訓練は、いろいろな意味で本当に災害を身近に感じたものになりました。今回の地震津波によって災害に遭われた方に、心からお見舞い申し上げます。また、これまでも今も支援を続けておられる方に敬意を表します。


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