戦争の痕跡 −終戦の日にあたって−

校舎



 本校の校舎は昭和8年に、新たに校地を移転して竣工したものです。威風堂々たる校舎で、生徒に伝統と希望を感じさせてくれます。この移転に関しては、地元4町が激しく本校誘致を争いました。結局、今学校がある町が、土地1万2千坪と現金3万円の寄付することで誘致が決定されました。残りの3町については、様々な便宜が図られて円満解決されたそうです。今の時代では考えられませんね。


 さて、昭和20年4月、本校は海軍経理学校として徴用されました。そして、終戦の日をまもなくむかえる8月8日に米軍グラマン戦闘機が飛来し、正面玄関に機銃掃射を受けました。その時の弾痕は十数年そのまま生々しく放置されていましたが、その後埋められました。現在、壁をよく見ると、埋められた箇所の色が違うことからそれらの弾痕を見てとることができます。左は学校の「100年史」からの写真、右は現在の写真です。わかるでしょうか。


 また、本校の敷地際には80mぐらい続く塀があります。この塀ですが、かつてはコンクリート枠にL字の鉄棒が3本ずつわたされていました。しかし戦時中、軍事物資をつくる目的でそれらの鉄棒は切り取られて供出されたそうです。現在でも、鉄棒が切り取られたままで塀が残っています。


 戦後63年が立ちますが、このような身近なところにも戦争の傷跡が残っています。生徒たちは知っているのでしょうか。一度話をしてみようと思います。平和教育が展開できますね。


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