わたしと北島康介選手との関係

ote2008-08-19



 わたしが、わたしと北島康介との関係を知ったのはシドニーオリンピックの後のことでした。それは、仕事で東京へ行ったときのことです。


 わたしは父親の仕事の関係で転勤族でした。大阪で生まれ、東京、福井、そして現在住まっている地へと渡ってきました。東京には幼稚園入学から小学校1年生の7月まで北区田端に住んでいました。幼稚園は家の近くにある道灌山幼稚園に行きました。今から8年前の秋、仕事で東京へ行ったときに自分が住んでいたところが懐かしくなり、足をのばしました。その時、幼稚園にも立ち寄りました。


 わたしが受けもってもらった先生を知っている主任の先生に園内を案内してもらい、昔のよもやま話に花が咲きました。その時、その年シドニーオリンピックで200mの平泳ぎで17位だった北島康介選手がこの幼稚園の卒園生であることを聞いたのです。この時には、「あ、そう」という感じでした。その時にはあまり意識していませんでした。その後の活躍ぶりには目が見張るものがありました。アテネオリンピックでは100、200mで金でした。以後、彼をテレビで見る度に、何か親近感を覚えました (^_^) 。


 幼稚園はわたしが通っていたころと何一つ変わっていませんでした。建物はそのままです。幼稚園を訪れると、昔の記憶がよみがえってきます。おさるとライオンの手人形を母親につくってもらい、人形劇をしたこと。運動会。エレクトーンを囲んで歌を歌ったこと。机に打つ伏して、お昼寝をしたこと。トイレを我慢していて、帰りの会が終わった直後におもらしをしてしまったこと。


 幼稚園の表には、次のような掲示がありました。

 この学園を
 訪れる人には安らぎを
 去り行く人には想い出を与えたい。



 わたしも、そしてせんえつですが北島康介選手もこの幼稚園を所狭しと走り回っていたのでしょうね (^_^) 。


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