人がみごとに生きることは、むずかしい

ote2005-12-20



 宮城谷昌光楽毅」を読みました。楽毅(がっき)*1孫子の兵法を学ぶべく、当時権勢を誇った斉に留学していた若き頃に、「人がみごとに生きることは、むずかしいものだな」と考えます。楽毅は、姓を楽(がく)、名を毅(き)といい、合従連衡*2の戦国時代をみごとに生きた1人です。


 まあ、楽毅は、日本でいえば、南北朝に活躍した楠木正成と戦国時代に活躍した上杉謙信を足して2で割ったような人でしょうか。戦えば、味方が小勢の時には、奇策をつかって相手を翻弄(ほんろう)します。多勢の時でも、力のみで押さず、外交を最大に利用したり、策をもって相手を先に動かし、それをもって行動します。また、人間的には、儒教の「仁、義、礼、智、信、忠、孝」と体現した人と言えます。


 わたしなんか、仕事で行き詰まっても、次の一手しか考えられず、いい手があったらすぐに飛びつき行動しますが、楽毅は違います。まるで羽生善治?のように、次の次、さらに次まで考えて行動します。このような人が上司ならば、安心して付いていくことができます。まさに、今の上司がこのようなタイプですが (^_^) 。


 楽毅が一番輝いたのは、わずか五千人で、大国であった斉の宮城に攻め入って占拠し、王を放逐したときではないでしょうか。1つ疑問があります。楽毅が仕えた燕の昭王が亡くなり、次に即位した暗愚な恵王が、楽毅の勢いを恐れて召還命令を出したときに、なぜ、それを拒否しなかったのでしょうか。楽毅の力量ならば、逆に燕一国を平らげることもできたと思います。しかし、それが歴史なんでしょうね。


 読後感は、映画館でヒーロー映画を観て、出てきた感じです。まるで、楽毅がわたしに乗り移ったみたいに、力を感じます。おそらく、感じるだけなんでしょうが (^_^) 。人がみごとに生きることは、本当にむずかしいものですね。


楽毅(一) (新潮文庫)

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*1:中国、戦国時代の武将。中山の宰相の嫡子で、後に燕の昭王の将軍となり、斉を破り昌国君に封ぜられる。昭王が没し恵王が立つと趙に逃れて重用された。

*2:《「連衡」は中国の戦国時代、張儀が主張した政策で、秦が韓・魏などの六国とそれぞれ同盟を結ぶこと》合従の策と連衡の策。転じて、その時々の状況に応じていくつかの勢力が結び合うこと。また、そのかけひき。