十津川へ

ote2005-11-16



 奈良県吉野郡十津川村へ行ってきました。今夏、司馬遼太郎記念館へ行ったことは、このブログに書きました。そこで、司馬遼太郎「十津川街道」を購入して読みました。



 この本を読んで驚いたのは、十津川は古来より、権力とは離れたところで共和国を築いていたことです。その共和国を築くために、壬申の乱の頃から時の権力者に兵を出し、その領土を安堵してもらっていたのでした。幕末には、天皇の御所の警備にあたったり、戊辰戦争では政府軍となり北越から奥州に転戦しました。その恩賞として、新政府より十津川郷に現米5千石が与えられ、それは11万余りの公債証書に変えられ、文武館(後の十津川高校)が建設されたそうです。写真は、玉置山中腹から、十津川高校を臨んでいます。



 今回十津川へ行った目的は、玉置山の植物と枕状溶岩を見るためでした。玉置山は標高1076mです。麓から車で上がっていくと、標高700mぐらいでブナが現れます。玉置神社の参道には、モミ、ツガ、ゴヨウマツが見られました。神社周辺は樹齢500〜600年の巨木杉群がありました。中には、推定樹齢3000年とされる神代スギがあり、周囲長10.3メートル 樹高50メートルに達します。山頂には、シャクナゲが見られました。


 


 玉置山にある枕状溶岩は、赤道付近の海底火山の噴火により噴出した玄武岩質の溶岩が水中に流れ出し、冷え固まり、プレートにのってやってきたものです。玉置神社の末社「三石社」ご神体は、なんと枕状溶岩なんです。ビックリしました。


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