世界標準になったフィンランド

競争しなくても世界一



競争しなくても世界一―フィンランドの教育

競争しなくても世界一―フィンランドの教育


 福田誠治「競争しなくても世界一 −フィンランドの教育−」を読みました。


 日本の教育は、これまで世界の国々から羨望のまなざしで見られていました。しかし、日本の教育を正確に倣ったのは(正確には倣える状況にあったのは)、同じ東アジアの国々が中心でした。台湾、韓国、シンガポールなどはそれで成功を収めました。また、これらの国々に共通点は、急速な近代化です。学歴が重要であり、それに付随して競争社会が誕生しました。


 わたしは、教育の世界標準は、時代とともに変わっていくと思います。相対的な教育観です。今の世界標準は「明日の市民をつくる」です。OECDが、新しい教育指標を、読解力リテラシー、数学的リテラシー、科学的リテラシー、問題解決能力に整理をして国際学力到達度調査(PISA)を行っているのは周知の通りです。


 フィンランドは、、読解力リテラシーと科学的リテラシーでは1位(14位、2位)、数学的リテラシーでは2位(6位)、問題解決能力が3位(4位)でした(括弧内は日本)。この本では、なぜPISAでフィンランドがうまくいったのかを明らかにしてくれました。


 その理由は明快です。フィンランドの教育観とPISAの教育観が、「明日の市民をつくる」という点で同じだからです。その教育観に基づく学習は、「知識は子どもが探究するものであり、その知識を社会における活動に使う際に、変更し、新たな知識へと創造していく。そして、この過程は、社会的脈絡の中で、複数の子どもの集団的な変換としておきていく」としています。したがって、日本のような「まず知識・技能(読み書き計算)」といった学習観とは、一線を画しているように思います。


 今秋に第3期中央教育審議会答申が出されます。その答申が、世界標準の教育観であるかどうかが注目されます。しかし、もし「明日の市民をつくる」といったような教育観が示されるならば、今以上に学力低下論者からの批判が出ることは明らかです。


 基礎・基本を重視をする考えと問題解決能力を重視する考えがあります。どちらにウイングを拡げるかが問題となりますが、「明日の市民をつくる」問題解決能力を個人で培うことは難しいと思います。

 
 したがって、カリキュラムの問題解決能力のウイングを今以上に拡げ、基礎・基本は子ども一人一人に対応する必要があるでしょう。フィンランドでは、特別補助教師(大学院または専攻科修了者)の加配教員がおり、学習の遅れている子どもに、週に1〜3回の特別補助授業を施しています。それは全体の2割程度が対象となります。また、本人希望による義務教育10年生の制度もあります。


 フィンランドの人口は520万人。著者はこう言っています。「日本は、人口1億人を超える大規模国として(国際学力調査の)上位に位置するきわめてまれな国である」。確かに、フィンランドくらいの人口であるならば、小回りのきく教育施策が打ち出せるでしょう。
 日本の子どもたちは、健闘しているのです。


なるほど! と思ったら、ワンクリックを → 教育ブログRanking