澤柳政太郎を知っていますか

 http://d.hatena.ne.jp/nave911/さんのブログで、NHKスペシャルで、明治時代の教育にかかわる番組が放映されていたことを知りました。職場でビデオにとっていた方がいて、そのビデオを借りて見ました。そのビデオの中で、澤柳政太郎という人物を初めて知りました。

 澤柳政太郎は、慶応元年(1865)年生まれで、長野県松本市の開智小学校を出て、東大予備門、東大へと進み、明治26年に文部省に入省し、文部次官まで上り詰めた人物です。明治33年に第三次小学校令を出し、小学校の無償化を図り、就学率を飛躍的に伸ばしました。また、立身出世を目指した「試験」のための勉強を排除するために、発達段階に適さない小学校の進級試験を廃止したり、子どもを普段の授業で評価するようにしたり、科目を統廃合し、授業時数の削減を行ったりしました。

 その結果は皮肉なもので、それらの改革は、中学校入試の競争の激化をもたらしたとともに、陸軍の学力調査で、20歳の兵士が小学校レベルの問題が解けない、基礎的な計算や暗記を軽視しているなどの学力低下の声を上げさせる結果となりました。そのような状況のもと、ある地方では学力試験がすべての学校で実施され、各学校の順位が示され、当局より指導を受けることになったそうです。そして、再び、試験による競争が激化しました。

 文部省を退省した後、澤柳は成城小学校を設立し、彼の理想の小学校をつくりました。子どもの興味・関心を大切にし、試験はなく、子どもは普段の授業で評価されました。

以上は番組の内容です。


 こうした取組は、奈良女子高等師範学校付属小学校の木下竹次らの取組とともに「大正自由教育」といわれ、広く公立学校にも広がりをみせました。

 歴史は繰り返すではありませんが、教育問題でも「ゆとり教育」とその「見直し」が振り子のように揺れ動いています。昭和に入って再び教育統制の時代を迎えます。戦後は、教育学者のデューイの影響による生活との関連を重視した「生活単元学習」。その後、スプートニクショックによる「教育の現代化」(アメリカより)。偏差値教育の反省からの「ゆとり教育」と続きます(少々あらい説明ですが)。そして今.....。

 子どもの学習で一番大切なことは、子どもの実態に応じて、目標を立てて、適切な教育的手段を講じることではないでしょうか。学力向上ということにおいては、誰しもが同意する目標であり、子どもの発達段階や学習状況を考慮して、問題解決学習や繰り返し学習などを組み合わせることが肝要だと考えます。決して「ゆとり」か「見直し」かなどという短絡的な2者択一の問題ではないと考えます。

 澤柳は、旧制成城高等学校の第1回入学式で次のように述べています。「従来試験と称するものを行わなかった。将来も。ただし学生の優劣を区別し席次を序するためにするのでなく、学習を確かめるためにすることは行う必要があろう。かかる場合に教師の監督を置かぬようにしたい。」

 なるほど!