刮目(かつもく)


 今年の1月、明日香村の森井實教育長がご逝去されました。享年73歳でした。先達て、研究所に、「刮目」という冊子が奥様より届けられました。「刮目」は、森井先生が学校教育課長、教職員課長、桜井高校長、畝傍高校長、奈良高校長、明日香村教育長であったときの様々な文章が集められています。「刮目」とは目をこすって、注意深くみること、深い関心をもつことをいいます。


 わたしは、森井先生に懇意にしてもらったわけではありません。ご一緒に勤務させてもらったこともありません。わたしが新米の教員のとき、生物の学習指導研究会で、指導主事に書かせた指導案を講評したり、実験がまったく成功しなかった研究授業をズバッと批評したりするお姿を見ていました。私たちは、森井先生をいつしか「カミソリ森井」と呼んでいました。わたしが生物教育会の仕事をするようになったときには、すでに退職されていました。


 「刮目」に収められている文章は、どの文章一つとっても格調高く、古今東西の引用がちりばめられています。その中に、重複して出てくる言葉が二つありました。一つは「道行かざれば到らず 事為さざれば成らず」、もう一つが「刮目」です。以下に、昭和61年の桜井高校の育友会報に寄稿された「刮目ということ」の一部を抜粋します。

 「自分で自分をほめられる程に一生懸命であったことには、たとえ結果が十分でなくても、よかったという気分になれる。しかし、力を出し尽くしていなければ、たとえ、仕事がうまくいったとしても、悔いがのこるものである。他人の目はともかく、自分の目はごまかせない、目をしっかり見開いて、ありのままを見定めたい」という文章に出会った。読んでいて、自分の目はごまかせない・・・・・・というあたりで、心を強くゆすぶられ、桜井高校3年目になる私にとって、再び原点に戻り、しっかり目を見開いていこう。「刮目」で行こうと思ったものであった。

 他人に厳しく、また自分にはさらに厳しかった森井先生がうかがえます。


 昨年の10月、全国小学校理科教育研究大会の明日香小学校会場で元気なお姿を拝見し、言葉を交わしていただいたばっかりでしたので、1月のご逝去の報には驚きました。今でも、あの黒いお顔から白い歯がこぼれて笑っていた様子が思い出されます。どうか安らかにおやすみください。


 さて、わたしの日記も「研究所だよりⅡ」から「刮目(かつもく)日記」にタイトルを変更しました。このダイアリーは、誰でもが見ることができるので、公私の区別をつけて書かなければなりません。「研究所だよりⅡ」だと、個人的なコメントが書きづらいということがありました。そのようなことで、この日記にある内容が「刮目」に値するものなのかどうか分かりませんが、自分自身への戒めも含めて「刮目(かつもく)日記」とさせていただきたいと思います。