西村賢太「苦役列車」を読みました。
先ほど、スターバックスで西村賢太「苦役列車」を読み終えました。第144回芥川賞受賞作品です。昔は、受賞作品の単行本が出るのを待って買っていました。宮本輝「螢川」や高橋三千綱「九月の空」、その他の初版本を持っています。けれども、最近は単行本は買っていません。月間総合誌「文藝春秋」を買っています。860円で、今回の受賞作二作をすべて読めるからです。初版本が手に入らないなら、これで十分です。初版本だからどうだということはないのですが。
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
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高校生の頃、芥川賞は芥川龍之介に由来する権威ある賞で、格調高い文章の純文学作品に贈られると考えていました。最初’75年に買ったのが、林京子「祭りの場」。なるほど、長崎原爆に被爆した体験を書きつづったもので、当時の私の胸にも重くのしかかりました。次に’76年に買ったのが村上龍「限りなく透明に近いブルー」でした。「えっ、麻薬とセックス、こんな内容で芥川賞がとれるの」と思いました。そして、’77年に買ったのが池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」。「えっ、こんなエロチックな内容で芥川賞がとれるの」と思ってしまいました。高校生の私にはとにかく刺激が強かった。特に「限りなく透明に近いブルー」には衝撃を覚えました (^_^) 。
今回の「苦役列車」も、高校生には衝撃的なのでしょうね。村上龍や池田満寿夫といった洒落た若者が書く小説ではなく、泥臭く生きてきた中年の作家が私小説を書いているのですから。同じ性欲を表現してもガチンコで描いています。読みながら主人公の貫多にだんだん腹が立ってきます。「だからおまえはダメなんだ」と。すっかり話に引き込まれている自分にふと気づきます。西村さんは受賞インタビューにこう答えています。
藤澤清造*1から学んだことの一つでもあるのですが、小説に中途半端なモラルを持ち込むと、途端につまらなくなる。自分の恥を含めてすべてさらけ出して書く、というのが僕の唯一の生命線ですから。逆に言えば、それしかできない。
貫多と西村さんが本当にダブって見えます。「苦役列車」の貫太はたった一人の友だちも離れていき、会社でもトラブルを起こし、別の荷役会社に移ります。相変わらず一介の日雇い労務者でした。「藤澤清造の作品コピーを常に作業ズボンの尻ポケットにしのばせた。」というところでこの話は終わります。貫太に一筋の光明を感じとることができました。それにしても西村さんは凄い。半端ない中年の決意ですね。ご一読を。
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