「さだまさし東大寺コンサート」へ行きました。

北河原別当のあいさつ



 光明皇后1250年御遠忌慶讃奉納行事「さだまさし東大寺コンサート」へ行ってきました。嫁さんがさだまさしさんを好きだということで、8月のとある日の朝日新聞に先行予約の広告が載っていたときに、チケットを予約をしました。



 開演の6時30分になっても、東大寺の外で並んでいました。いったいいつになったら中へ入れるのかしびれを切らしていたところ、列が動き出し、あっという間に大仏殿前の広場に入ることができました。列の後についていけということでしたが、わたしが座るはずのブロック番号が見当たりません。しかたがないので、その付近の空いているところにいただいたシートを敷いて座りました*1。大仏殿は御遠忌できれいに飾り付けられていました(トップ画像:北河原別当のあいさつ)。


 さだまさしさんの登場は6時50分。まずは、さださんの軽妙なトークから始まりました。さださんは30年前、昭和大修理の落慶法要でも東大寺コンサートをされました。それが神社仏閣でのコンサートのはしりとなったそうです。今日は30年前にそのコンサートに来ていた人も数多くいました。最初の曲は、アップテンポの「天文学者になればよかった」でした。わたしは、さださんの曲は聴いたら知ってるというような感じです。会場の皆さんは、イントロが始まると「あの曲だ」と言わんばかりに拍手をしていました。


 歌われた曲目は「精霊流し」「北の宿から」「案山子」「道化師のソネット」「秋桜」「片恋」「防人の詩」「風に立つライオン」「まほろば」「修二会」、全部で十数曲歌いましたが、あとはタイトルがよく分かりません。


 御遠忌で飾れた大仏殿に舞台照明が当たります。空は雲でかすみ、半月がぼんやりと映ります。そのような中で、さださんの声量感溢れる声、そして抒情的な歌言葉を耳にすると心がだんだんとほぐされていきます。


 パンフレットの中で、さださんはこう言われています。

 (前略)
 以来30年。言わば正倉院の生みの母ともいえる光明皇后1250年の御遠忌にまた大仏殿で歌わせていただくことのできる意味が、ようやく自分でも理解できる経験を頂戴し、そんな歳にもなった。前回のコンサートとはまた違う意味で僕にはとても楽しみだ。
 30年という気の遠くなるほどの長い時間を経てまた大仏様のお召しいただくことへの感謝を。まだ歌っていられることへの感謝を。自分が「音楽」という名の「道」にどれほど精進してきたかを大仏様にご報告申し上げられる感謝を。
 ひたすら歌う。

 わたしはこの25日で50歳を迎えます。30年前は、自分ことだけを考えていればよい気楽な大学生でした。今日のさださんのコンサートは、自分の半生を振り返るよいきっかけを与えてくれそうです (^0^) 。


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*1:コンサート終了後、芝生にはってあるわたしのブロック番号を歩いて捜してみると、少し後ろの端の方の席でした (^0^) 。