被爆した女たちは生きた〜林京子「祭りの場」


 今年も8月の上・中旬、原爆記念日終戦記念日になると、様々な戦争記念番組がテレビ放映されました。わたしは次の番組を見ました。 

NHKでは、
8月5日 「クローズアップ現代 あの日、きのこ雲の下で」
   6日 「ヒロシマ・爆心地復元〜平和公園は繁華街だった〜」
   9日 「被爆した女たちは生きた〜長崎県女 クラスメイトたちの65年」
  10日 「戦争を伝える 第二次世界大戦(2)」
  12日 「玉砕 隠された真実」
  14日 「市民たちの戦争 悲劇の島 語れなかった記憶〜沖縄県伊江島〜」
  15日 「15歳の志願兵」
民放では、
  14日 「歸國
  15日 「真夏のオリオン」


 その中で特に興味をもった番組は、9日「被爆した女たちは生きた」でした。その番組に、長崎高女出身の作家の林京子さんが出演していたからです。番組では、林さんたち長崎県立高等女学校から長崎市の三菱兵器大橋工場へ勤労動員で魚雷を作っていた少女の被爆後を、再現ドラマやインタビューを通して描いていました。工場は爆心地から1.3キロにあり、働いていた少女は亡くなったり被爆したりしました。生き残った少女たちの戦後は平坦な道ではありませんでした。女性として、恋愛、結婚、妊娠など人生の節目で被爆体験や原爆症をかかえて苦悩します。現在、彼女たちは80歳を迎えようとしています。


 わたしが林さんを知ったのは15歳の時、駅前の小さな本屋さんで芥川賞と帯が掛かった林京子祭りの場」という単行本を見つけました。当時、純文学が何物であるかは知りませんでしたが、芥川賞が純文学の新人に与えられる賞であることは知っていました。背伸びしたい年頃のわたしは、750円出してその本を買って読みました。「祭りの場」は、林さんが自ら被爆した体験を、原爆を投下したアメリカの理不尽さに静かに抗議の意を示しながら書かれたものでした。長崎に叔母がおり、原爆資料館にも足を運んだことがあった当時のわたしにとっては、長崎から離れたところに住み、昔の出来事ではありましたが、遠い話ではありませんでした。
  
    


 1学年の後期のLHRでは、映像を通して人権を考えるLHRがあります。今年は戦争について、何を生徒に伝え、考えさせるべきかよく整理をし、映像を選び、教材化を図ろうと思います。わたしの前には、屈託無く振る舞う生徒がいます。65年前、自分たちと同じ世代の若者が体験したり考えたことを、心の中にくみ取る作業をさせたいと思います。


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