三浦綾子「塩狩峠」を読みました。


塩狩峠 (新潮文庫)

塩狩峠 (新潮文庫)


 夏ごろ、鉄道員が峠から暴走する列車を自らの体で止めたという小説があることを知りました。どのように知ったのかは忘れてしまいましたが。作者は三浦綾子さんです。書名は「塩狩峠」、恥ずかしながら、三浦綾子さんという作家の名前、「塩狩峠」という書名は知っていましたが、具体的には何も知りませんでした。
つい先日、勤務先の最寄りの駅構内の本屋さんで見つけました。


 作品としての仕掛けがしっかりしており、主人公の信夫の心のひだが手に取るように伝わってきます。最初信夫はヤソを嫌ってきました。しかし、クリスチャン、友人や上司などと接するうちに自分の信仰を明確にもつようになります。だれでもが「こうありたい」「こう生きたい」という思いはありますが、それを具現化することは大変難しいことです。この小説の一番の山場は、信夫は説法者と出会うことによって、自分の信仰を確かめていくシーンではないでしょうか。いかに聖書にあるとおりに実行することが困難であるのか。信夫は初めて自分の罪の深さに気が付きます。


 「楽したい。楽しみたい」だれもが思うことですよね。自己を犠牲に何かをしているときでも、「してやっているんだ」「自分はなんてえらいのだろう」とうぬぼれがでます。つまらない例えでは、通学路に落ちている校内から持ち出されたジュースのパック、プリンのカップやアメのゴミなどを拾うときに、「なんてダメな生徒たちなのだろう。それに比べて、ゴミを拾う自分はえらい」なんて。人間ができていませ〜ん (^_^) 。


 よく考えてみると、鉄道員である信夫が、自分を犠牲にして乗客を救うことは当たり前といえば当たり前の行為でしょうか。わたしとて、生徒が生命の危機にあったときには、生徒を救わなければとなるでしょう。この話が単に鉄道員の殉職であるならばこのような感動を呼ぶことはありません。信夫の信仰が、確かなものに近づいていく過程にわたしたちが共感するからではないでしょうか。


 あらすじは次のとおり。わたしがまとめたので少し変かもしれません (^_^) 。

 主人公の信夫が30歳の若さで亡くなったのが明治42年ですから、話は明治20年ごろから始まります。信夫は日本銀行に勤める父と祖母に東京で養育されていました。信夫は、母親が彼が生まれてすぐに亡くなったと聞かされていました。祖母が亡くなると、父親は女性とその娘をつれて帰ってきました。その女性は信夫の母親だったのです。信夫の母親はクリスチャンで、それを嫌う祖母から家を出されていたのでした。


 母親、妹そして父までがクリスチャンとなっていました。信夫は家族と幸せに暮らしながらも疎外感をもち、キリスト教が疎ましく、キリスト教を嫌うようになりました。しかし、彼に影響を与えるのはクリスチャンの人々でした。


 成績優秀な信夫でしたが、父親が亡くなったことから進学をあきらめ、裁判所に勤務するようになりました。明治のころは男性が女遊びをするのは当たり前で、信夫も吉原に誘われて行きますが、信夫は逃げ帰ってしまいます。このように女性に対してストイックな信夫は女性を意識しながらも、禁欲的な生活を送ります。


 しかし、信夫には小学校のころから気にかける人がいました。親友吉川の妹、ふじ子です。ふじ子は足が悪く、びっこを引いていました。吉川は小学校のころに札幌へ夜逃げしていました。そんな吉川とふじ子と再会したことから、信夫は東京の裁判所を辞め、札幌の鉄道で経理の仕事をするようになりました。そのころ、ふじ子は当時不治の病だと言われた肺結核、脊髄カリエスにかかり、世間から隠れるように闘病生活を送っていました。信夫は、彼の人柄にほれた上司の娘との縁談も断り、ふじ子を見舞い続け、その彼女と将来病気がいえたときに結婚しようと約束しました。


 ある日、信夫は街角で説法をするクリスチャンに出会います。彼は信夫に「キリストが十字架にかけたのはあなた自身だということをわかっていすか。・・・・・君は罪深い人間だと思いますか」とたずねます。そして、罪深いと思わないのであるならば、聖書の中のどれでもいいから一つ徹底的に実行するようにすすめられます。自分が罪深いと言うことに合点がいかない信夫は、『己のごとく汝の隣をあいすべし』とことを実行しようとします。それは、同じ職場で給料を盗んだ三堀という同僚に対してでした。信夫は三堀を辞めさせると言った上司のところへ本人と一緒に行き、詫びを入れました。詫びが遅くなったのは自分の友情が足りなかったせいで、今度悪事を働いたら自分も職を辞するといいます。その結果、三堀は許され、上司の転勤と共に同行を命じられます。また、上司に仕事の上で信頼されている信夫にも同行が命じられました。しかし、三堀は逆恨みをし、悪態をつきました。「自分の生活を監視するためだろう。悪口を言いふらしに来たのだろう。監視しないと自分のクビが危ういからだろう」と。


 信夫はそこで自分を知りました。自分なら三堀の本当の隣人になれると手を尽くしてきたが、手を尽くすほど彼が自分を払いのけ、そのたびに彼を憎み、ついにはその憎しみでいっぱいになってしまったことを。傲慢にも自分を神の子の位置に置き、三堀を見下して神を認めないことを。そして、この傲慢な罪がイエスを十字架につけたことを。


 信夫はこのことを「信仰告白」としてクリスチャンとなりました。信夫は職場でも庶務主任として人望が厚く、困った職員がいると彼の部署に配属されるようになりました。また、説法者としてもあちこちの教会から引っ張りだこになりました。そして、ふじ子の不治の病も癒え、彼女と結婚をすることとなり、充実した日々を過ごしていました。


 ふじ子との結納の当日、信夫は出張先の名寄から汽車で札幌へ向かっていました。その途中急な峠を上ってしばらくしたころ、客車が一瞬ガクンと止まったかと思うと、次の瞬間後ずさりしだし、スピードを上げていきました。信夫が乗っている最後尾の客車が離れ、後戻りをしていたのでした。信夫は直ちに祈るとともに「皆さん、落ちついてください。汽車はすぐに止まります」と言うやいなや、客車のデッキにあるハンドブレーキに向かいました。それを回し、ブレーキをかけ減速をさせるものの完全に止まるまでいたりません。完全に止めなければ、また下へ暴走してしまいます。信夫はとっさに判断して線路を目がけて飛び降りました。客車は信夫の上に乗り上げ、完全に停止しました。真っ白な雪の上に、鮮血が飛び散り、信夫の体は血にまみれていました。客車から飛び降りてきた乗客たちは信夫の体にとりすがって泣きました。信夫の死に顔は笑っているようでした。

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