硫黄島からの手紙

ote2006-12-29



 「硫黄島からの手紙」を見に行きました。硫黄島の戦史については、これまで知りませんでした。また、星条旗を掲げるアメリカ兵については、硫黄島での出来事だとは知りませんでした。


 栗林中将は、あんな上司がいたらと思わせる雰囲気です。一つは決断の早さ。これまでの水際での上陸阻止作戦を捨て、兵を温存しながら持久戦に持ち込むために、島内に約30㎞のトンネルを掘りました。二つ目は、自らの意気込みでの鼓舞。難局に当たって、自ら動き、「余は常に諸氏の先頭にある」と言い放ちます。三つ目は、兵をいたわるやさしさ。四つ目は、家族思い。渡辺謙が様々な表情の栗林中将を演じています。


 予定ではこの映画が、涙ボロボロのような感動を与えてくれると思っていたのですが、そうではありませんでした。それは、戦闘が始まってからの栗林中将の苦悩が描ききれなかったところにあります。栗林中将に共感する伊原剛志ふんする西中佐、中将の戦法を腰抜け呼ばわりする中村獅童ふんする伊東中尉が、それぞれ異なる砦で戦うので、栗林中将とのからみがわずかです。


 古い話ですが、日本による真珠湾攻撃を描いた「トラ・トラ・トラ」では、真珠湾攻撃時の攻撃部隊、機動艦隊、海軍司令室などの話が同時進行しています。ところが、「硫黄島からの手紙」は1か月という長い戦闘が原因かもしれませんが、各砦での戦いと栗林中将とのつながりが今ひとつで、統一感がありません。唯一、二宮和也ふんする西郷が退却を繰り返して西中佐や伊藤中尉と出会うことによってストーリーを流すことができています。


 戦史を描くのが目的ではないのですが、映画を見ている観客は硫黄島の戦いの全体像を分からないので、硫黄島でどのように戦闘が進んでいるのかを明らかにして描いた方が、栗林中将の苦悩も浮き彫りになったのではないでしょうか。


 ズームインの辛坊アナウンサーが、「外国のワーナー・ブラザースの映画として、硫黄島の戦いがつくられたのはいかがなものか。日本人がつくるべき映画ではないか。」と言っていました。なるほどと思いました。言い方はおかしいですが、硫黄島のように賢く戦った戦史、逆にガダルカナルインパールのような戦史、これらを映像化することによりわれわれが学ぶことは多いと思います。


 戦闘シーンは、映画だけあって迫力のあるものでした。史実でもそうだったのでしょうが、弾丸が雨あられのように降るなかを移動しなければならなかったり、中途半端な気持ちでやりきれない気持ちで自決しなければならなかったり、戦争とはとんでもないものだということをまた改めて感じました。


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