歳を重ねると消えていくもの


 「もう寝なくっちゃ」と思い、ちょっと階下へ。テレビがまだついていました。テレビに映っていたのは、ムコ多糖症*1の患者やその家族でした。


 患者やその家族は、厚生省の役人に対して、アメリカではもうすでに販売されている治療薬を日本でも早く認可してくれるように交渉していました。ムコ多糖症の国内での患者は少なく、新薬の申請が後回しになるようです(日本テレビ ドキュメント'05 1億3千万分の300=0ですか? 〜 治療を求める稀少難病患者たち 〜 )。


 最近は、このようなドキュメンタリー番組を見なくなりました。昔は、社会的に弱者の立場におかれた人たちが、様々な人とかかわり合いながら生き抜いている姿をみて感動を覚えていたのですが.........。


 今から19年前、「ドキュメント'86 苦海からの叫び」を見て、わたしの中では終わっていた水俣病が、30年経っても患者認定問題などが解決されていないことや、わたしと同じ世代に胎児性水俣病患者がいることを知り、矢も楯もたまらず、水俣へ行き、それらの患者さんと話したこともありました。

 
 いったいわたしの中の何が変わったのでしょうか。感情が安定したのか、正義感が希薄になったのか、おそらく、もっとも大きな理由は、このようなシリアスな問題を受け入れる、わたしの心の余裕がなくなったことにあるのでしょう。歳を重ねるにつれて、わたしの中で、消えていくものがあることに気がつきました。

*1:ムコ多糖症は、骨や皮膚に多く含まれる「ムコ多糖」という成分を分解する酵素が、遺伝子の突然変異で欠乏し、機能が低下して発症します。そのため、骨格の変化し首が短くなったり、関節が固くなったり、角膜の混濁、難聴といった症状がでます。